バニラ・スコーク 前編 (飯轟) R18
飯田19×轟18
卒業後の謝恩会の帰り際轟は飯田から告白され付き合うことになり九ヶ月ほど経った頃
二度目に過ごす夜、一度目と違いやけに積極的な轟に、違う関係性を求められているのではと疑い焦る飯田と轟の二夜目話
後編はほぼホテルでえっちする話なので前編にもRを指定しています
元旦の夜八時を回った頃、駆けつけた現場では夜便の旅客機同士が管制塔のミスから滑走路であわや衝突をぎりぎりまぬがれていた。
右手から着陸した旅客機はそのまま逃げ切り無事停止をしたが、手前からの機体は油圧管とブレーキが効かなくなり一定のスピードを落とせないまま滑走路を回っていると制止要請があった。
ベテランの操縦士が何とか手動操縦しているのもありカーブも曲がれているが、機体がかなり揺れて搭乗者百五十人弱が危険な状況だった。
都心からバイクを飛ばして駆けつけた轟は、機体が何かの接触で燃料が爆破しないよう路面に細かな氷を散らし、地面との摩擦を緩和していた。
摩擦防壁要員で共に呼ばれたツブラバと話し、進行方向へ柔らかい空気壁を幾層も設置し突破させることで減速させていく。
通常大型旅客機には人員脱出用途のものも、機体誤駆動抑止のパラシュート装備も備わっていない。
機体後尾数メートル上空にセロファンのテープが繋いだ推進機動力のインゲニウムをパワー型浮遊系ヒーローが支えて飛ばし、疑似パラシュートの要領でさらに減速させていった。
滑走路側面にはどんな足場からでも人命救助できるよう、他サポート系ヒーローや救急隊も待機している。
マッドマンのようなヒーローがこの場にいれば、地面ごとタイヤを包むよう埋もれさせ減速停止が早かったと思うが、年末多発的に起こった地方地震災害地の復興に派遣されていて都合がつかないようだった。
大戦後プロヒーローたちの登録数は徐々に戻ってきたものの、全盛期に比べても減っている年始に人災天災が重なり、各地に満遍なくヒーローが派遣され都心の常駐数も限られている。
微細に調整しながら粒氷を十数分ほとばしらせているので、右側がどんどんと冷え込んでくる。
「スピードは落ちてきてる!っけど、十一時進行方向およそ三キロで滑走路が切れる!どうするショート!」
空気障壁が突破されるごとに次々にツブラバが肺から生み出す合間に、並走する轟に向かって叫んだ。
冷たくなっていく右半身を左で温めながら、轟は滑走路の終点を見据える。終点が終われば、コンクリートで舗装されていない草場に出てその先は真冬の海だ。
「バニシングポイント手前に緩い傾斜路を作って後方に機体を受け流す!ツブラバ、空気溜めとけよ!!」
轟は後方を担当する飯田たちにインカムを繋ぎ、機体を受け流したあとの制止指示をすばやく出した。
バニラ・スコーク
寒い冬の深夜にさしかかり、轟は芯から冷えすぎた右腕を震わせながら現場を抜けた。
車庫に残っていた整備士たちや管制塔の責任者たちが出てきて礼を言われる中、現着していた救急隊と警察に、円場と共にざっと対応内容を共有した。
「轟ィー。やったなあー。あけおめ」
同じく後方部隊の情報共有を終えた瀬呂がメットを抱えて手を振ってくる。
「おめでとう。瀬呂、うしろのほうは大丈夫だったか」
「へーきへーき。さきがけよりはこっちはぐいぐい調整してやる係だったし」
お客全員無事でよかったなあとからりと笑う瀬呂に、九ヶ月ぶりに学生時代の邪気のなさを感じ轟は懐かしく思った。
円場も再び合流して、これからどうする、終電終わりそうという二人の会話に、バイクで来ている自分は帰ろうかと思案する。
「もう足ねえし、俺ら空港内のホテルの予約取れっか見てくるから、あればお前らの部屋も取っとくな」
複数呼ばわれる文脈に目を瞬き、背後をふと見やるとメットを外した飯田が近づいてきていた。
「ああ、ありがとう!お願いしていいかな」
メンバー全員が宿泊するらしいと聞き、一人バイクで来ていることを明かしづらいなと思ったタイミングで、飯田が空を切るように手首を振った。
「轟くん」
二人が成田空港のロビーへ向かうのを見届けてから、晴れやかに微笑む飯田が轟のほうを向いた。
黒いグローブごしの両手が紙コップを二つ持っていて、片方を差し出される。
「お。何だ、これ」
透明な何かの飲み物は、鼻先に近づけただけですぐに酒気が香り、清酒だとわかった。
冷えていた右手が熱いカップを通し、じわじわとあたたまっていく。
「空港スタッフさんが、ヒーローや救命隊員のために急遽用意してくださった、新年の御神酒だそうだ。どうも未成年だと思われてなかったようでね…暖を取るだけでもと思っていただいた。あったまるぞ」
いつものように闊達に瞬く目の中に、きっと自分の体温が下がっているということを見越してのことだろうというのが伝わってきて、轟の胸がじんと重くなった。
「…ああ。助かる。ありがとな」
正直、飯田がこちらに近づいてきていた姿を見て、凍てついていた身体がほっとした。
轟の体質に過敏なのは飯田だけだったし、顔を合わせるのも一ヶ月ぶりだった。
「君の最後の判断は的確だったよ。乗客がみんな新年を無事迎えられてよかったな」
カップに鼻先をつけて香りを楽しんでいる飯田を見ると轟のほうを見ていて、目が合うと少し照れくさそうに微笑んだ。
何だかむず痒い心地がして御神酒を思わず啜り、濡れた滑走路横のコンクリートに視線を落とした。
「年始からてのは、縁起ねえけどな…」
なみなみと満たされた御神酒を何度か舐めたあとに、轟はふとあることに思い至り唇を離す。
「あ」
「ん?どうしたんだい?轟くん」
轟より少し目線が高い飯田が、ぱちりと瞠目し見下ろしてくるのを見返し、半分は呑み干してしまったカップを持ち上げる。
「バイクで来たのに酒呑んじまった」
はっと飯田があたふたと両腕を振り回し、余計な気遣いになってしまったと思ったのか直角に謝罪してきた。
「ああ…っ!ごめんよ轟くん!バイクで来ているとは思っていなくてつい…というか君呑んだのか!?」
轟でさえすっかり忘れていたので自分のせいだと首を振り、宿まで遠ければどうするかと頭を捻る。
「ホテルまでだろ。…少しくらいいけねえか」
「それはいけないぞ轟くん」
子供をたしなめるように、軽く轟の頭に手刀を置く指に触れ、やっぱり見逃さねえかと肩をすくめた。
「だよな…」
割り切って朝まで酒を抜くことに決め、御神酒を半分ほど減らしてしまったカップを飯田が回収してくれたので、薄汚れて濡れたヒーロースーツのホックを外した。
バイクのまま滑走路に通してくれたので、路肩に止めたままの黒い車体を見つけると、轟は夜気で冷えたシートに跨った。
全体が黒塗りのカウルのスーパースポーツバイクに跨りながら、おもむろにスーツのジッパーを下ろして私服に着替えだした轟を見て、飯田はぎょっとした。
「とっ、轟くん?!ここは外だが!?」
「別に、誰も見てねえし」
「俺が見ているぞ!」
確かに空港のロビーまではまもなく到着する距離だが、スーツのまま入れば帰宅客がまだいるフロアでは目立つ。
飯田のスーツはスイッチ一つで収納されるハイテクな仕様だから、手間が気にならないのだろう。
「……。お前なら問題ないだろ」
真冬の外で濡れたタンクトップも脱いで素肌の上半身をさらし、荷台に詰め込んでいた黒い厚手のニットに腕を通す。
他人じゃないだろという目線を流してやると、顔を赤くしてさっと視線を外す飯田が制止の手をかざした。
「ぐ…、いや…そういう問題じゃなくてだな轟くん!」
「そうか。なら、飯田が見張っててくれ」
さすがに往来ではしねえしと淡々と補足する轟にほっとしたのか、飯田は歩いてきた後方に目をやって誰も見てないよ、と息をついた。
「空港内の御手洗…は、やはりヒーローだと目立つか…」
言われたことで少しは気にした轟も衣服を身につけていく手つきが素早くなり、ダークグレーの細身のアンクルパンツに履き替える白い大腿を目にして、飯田はたびたび目を逸らした。
「…別に、男だから気にならねえだろ」
キャリングケースにざっくり脱いだスーツを詰め、足元は素足に白いダッドスニーカーを身につけ着替え終わって顔を上げると、複雑そうな表情の飯田が立っていた。
轟はバイクに腰を下ろしているから、普段よりも目線が低い。
濃い紅色に乳白が滲み混じったようなつむじの境目もよく見えた。
飯田はそのへんをなんとはなしに見つめているようだった。
「…轟くんも、俺のようにケースからサイバネティックに展開するタイプに改良してみたらどうだい?」
ニットの上に黒いフライトジャケットを羽織りながら、あれは確かに便利だよなと最新鋭のスーツ機構を思い起こしていた。
「俺のスーツのようにアーマーじゃないから、安価でできると思うぞ。個性の都合柄君の衣服は燃えやすいし…君は女性にもよく見られているからな。外で気軽に着替えるのはやめたほうがいいぞ」
飯田の目の奥に、自分に対する焦げた片鱗が揺れているのが見えて、また少し心臓が重くなった。
「事務所で着替えてくるからあんま気にしたことねえけど。まあ…いいかもなそれ。考えとく」
*****
『いや……なんか、納得したなって』
轟にあるまじき、ぎこちのない戸惑いが最初に漏らした言葉はそれだった。
―――九ヶ月前の春。
卒業式後すぐに催された、相澤を囲んだ謝恩会の帰り際、飯田は轟を引き止め二年ごしほどの気持ちを告げた。
少年らしい体躯はもうなく、二年後半頃にはもうお互いに大人の風貌に成長して幼さは見る影もなくなったが、立ち消えるのを待った心もすり減らず大きくなってしまった。
飯田の告白に際して、お前一年の後期以降からおかしかったし、ずっとたまに態度が変だと思ってたとこあるし、など何度か飯田が自分に対しては変だったと轟から言われ通して、失笑するはめになった。
変、というのも、周りの人間よりよく家族間への棘のある場面でフォローされているという印象が多くあったからだという。
ヒーローとしてそれぞれ活動する場所も離れてしまうし、こうして集まれる機会は減ってしまうだろうと思われたのと。
いまだ良悪の意味でさらに注目を集めていく轟と、OFAの残り火を失った無個性の緑谷に変わるように、力の均衡する轟に渡り合いに行く爆豪の悔恨を埋める向上心に、焦りを覚えてしまったからだ。
轟の心は強いから、悔やんで猛る彼を受け止められる。
彼らをいろいろな関心からかばうのは、いつしか自分の役目になっていた。
礎を失くした期間の彼らが、自分を頼ってきてくれたのが嬉しいと思った。
自分以外の者の目に彼が触れてしまうことから。
彼は在りたい自分になるために、たくさん自分を塗り変えることを呑み込んできたから、これからはさらにどんな者にも心を開いて力を砕いてしまうだろうから。
兄にまつわる怨嗟を見ていた俺を見ていてくれた彼の、その腕を取ることを、どうしても誰にも譲りたくないと思ったから。
凍てつくしかない涙の半分は、自分のために流されたものだったから。
匿名の、彼をおもんばかる人々やクラスメイトに対し立ち塞がる、今までの自分の中になかった速度。
悪いけど―――。
君の一つになった身体と心に間に合うのは、僕が一番で最初がいいんだ―――。
*****
「ホテル、四部屋取れたそうだよ。バイクは?どうするんだい」
スマホの着信相手は瀬呂で、空港内のホテルに空きはなかったが、最寄駅前のビジネスチェーンホテルで部屋が取れたとのことだった。
バイクを右側に引きながら歩く轟と共に、空港の正面口付近まで戻ってきた。
「瀬呂たちがホテル取ってくれたんなら、そこに駐車できるだろ。引いてかなきゃなんねえのは手間だけどな…」
「うぐっ…それは飲酒させてしまった俺が本当にすまない轟くん!」
「だから、飯田のせいじゃねえよ」
バイクはいつも路傍に乗り捨てた際はすぐ事務所のテレポート個性を持つサイドキックを呼び回収させ、解決した現場地点まで運んでくれるとのことだった。
遠方に赴く際は事務所付きのハイヤーかタクシーを使うが、季節柄高速が混んだりする今のような時期は狭い公道や峠などでも小周りが利くスーパースポーツバイクに乗っているらしい。
「そのバイクも新しい髪型も、君によく似合っているな。格好いいよ」
飯田は轟がバイクに乗っているのは初めて見たが、クールな彼に黒光りするSSはよく映えている。
「…そうか。ありがとな。…泊まるホテル、どこにあるんだ?」
思わず思ったことをそのまま伝えてしまったが、轟は飯田のほうを見て軽く目を見張り、それからそらした視線を道路脇の歩道向かいに見える駅前にやった。
「…うーん、多分…左手のあれだな!」
轟の向いている駅前を見れば、瀬呂から送られてきたマップの写真にある外観が建っていた。
「年始によく取れたよな、四部屋も」
飯田のスマホの写真を轟も共に覗き込んで、建物を見比べる。
ホテル手前に広い駐車場もありそうだった。
間近にある古い火傷跡と白い横顔をかすめ見る。
髪が前回会った時よりかなり短くなっていて、轟の表情がよく見えるなと思った。
彼を見慣れていない人なら気付きにくいが、おそらく轟は照れている。
普段人に褒められても何とも思っていないのかさらりとかわす轟だが、多分今の飯田からの言葉だったからだろうか。
不意に相好を崩すのがかわいいと思ってしまう。
「では、聴取の警察官もロビーで既に待っているとのことなので急ごう!轟くん」
二人分のチェックインを済ませ、ビジネスホテルのロビーで先に聴取の終わった瀬呂と円場と合流した。
千葉県警の警官が二名ロビーのソファから立ち上がり、遅れて到着した轟と飯田を迎えた。
二十分ほどで二人の機体事故の聴取が終わり、警察もホテルから撤収してすかさず、誰からともなく腹減ったと気の抜けた声がこぼれだした。
全員が空腹で同意だったので、深夜帯でもやっている近隣の食事処へ行こうということになった。
「夜も遅いし、成田はさすがに都心から離れてるから部屋が取れたのはありがたいよ」
見渡す駅前はどことなく昭和時代の面影が滲む古い駅舎とビルが建ち並び、それでもそれなりに飲食店は連なっている。
「ほんとほんと。俺まだ車の免許取ってねえもん。事務所の所長からも休みやるから早く取ってこいって言われてるし」
車のない円場と瀬呂はどこにしようかとまだ営業中の表記がある店の多い路地に向かい、二人に着いていく形で飯田と轟は隣り合って街を歩いた。
深夜にさしかかる年始の夜だからか、駅前に人はおらず、普段人目に触れやすいヒーロー四人はその開放感に浮かれていた。
「…あそこ、いいんじゃねえか。朝までやってるし」
一度通りすがった居酒屋を指差す轟を、三人がかえりみてどれどれと看板とメニュー表を覗くと、始発が出る頃まで営業しているらしかった。
メニューの中に、あたたかいものだが冬季限定鴨そばの文字を見つけて、飯田と瀬呂は顔を見合わせて笑った。
串揚げの地元店で深夜過ぎにのれんをくぐったため、店内の座敷席は割合空いていた。
調理場の板前の中年男性が一行に目を見張ると、すぐに妻であるらしい女将を呼んで対応をさせた。
おそらくすぐに空港事故の救援に来たプロヒーローだとあたりをつけ、配慮をしてくれたのだと思う。
主に既にチャートトップ十位入りしている新人ヒーローショートの風貌が目立つからだろう。
奥の衝立のある目通りの少ない席に通してもらうと、いそいそと女将さんが真っ白な新品の色紙を四つ手にしてそわそわとしながら戻ってきた。
女将さんは学生の娘さんがいるらしく、その影響で雄英出身ヒーローに精通していて四人のこともよく知ってくれていた。
機体の不時着は今後も頻回しそうな事例だからと、今後の対応策をいろいろなプロヒーローの個性を元に論議し合い、身体も使ったから大いに食べて飲んだ。
食べたものが血肉になるそばから動いて大量に消費されるので、まだ若い男同士四人ともが燃費がいい。
「好きなものがあってよかったな。轟くん」
飯田の右隣の座布団に座る轟もさすがに身体が冷えたからか、熱く煮立ててもらった緑茶片手にあたたかい鴨そばを食していた。
「ん。うめえ」
普段は神奈川や都心から離れることはなく法学部にも通っていて忙しいが、年始もこうして卒業間もない知己と食事ができる幸運を、飯田はじわりと噛み締めた。
年明けに轟と会えたことも、なおさら運がよかった。
それから四人共に串揚げやノンアルコールビールとチューハイもどきなどを何度もおかわりした。
場の空気にほろ酔いながらも、航空機のことをまずよく知っておいたほうがいいということになり、今度時間を合わせて有用なヒーローも誘い、公安委員会を通して自衛隊や航空会社に座学をお願いしようかという話になった。
「轟ィー、何で急に髪の毛短くしたん?かなりイメチェンじゃん」
あまり酒気に似た匂いには強くないので、ちびちびとささみの串焼きをアテに烏龍茶を飲んでいた飯田は右隣を見た。
「ああ…。短くしたのは、公安のホークスに提案されて…。しばらく箔付けたほうが、今の時期は舐められねえからって…」
家の事情を鑑みてと唐揚げを頬張っていた轟がぼそりと付け加えると、あー、と一様に納得したように頷いた。
「確かに…イケメンが学生気分のままでチャラついてるみたいに敵不審勢には見えちゃうのかもなァ…。女の子票も多いだろうし轟。頭丸めるみたいな意図かあ…」
円場も一年の時轟に林間合宿時助けられて以来懐いていて、轟のヒーロー事情には関心が高いようだった。
「まっ。短かけりゃ短いで、イケメンのポスト枠が変わるよなあ、轟って」
すっげえ短えのなと轟の形のいい頭に向かいの席から手を伸ばし、白い毛先をつまんでみている瀬呂に、轟はされるがままで白飯を口に入れている。
「そうか?まあ…前髪邪魔じゃねえのは、楽かもとは思った」
「何それ瀬呂。モテるカテゴリが変わるってか?」
「そーそー。硬派は近寄りがたくなるっしょ女の子も。年上からは清潔感溢れる好青年に見えて好感度いいだろしね。さすが公安委員長」
ふと瀬呂の手つきを凝視していたのだと気がつき、飯田ははっとグラスから口を離す。
「………」
瀬呂はもう新しい生姜の串揚げを手にしていて、それにかじりつきながら飯田のほうを見ていた。
轟に対しての態度がおかしいと気づいた瀬呂が、飯田自身の違和感を伝えてきて、墓穴を掘ってしまっていたとわかった。
特に何もばれてないだろうと平静を装う飯田は、瀬呂のほうを見ながら同じく新しいささみチーズの串揚げに手を伸ばす。
「……………」
じっとまだ目が合ったまま、笑ったような表情が普段からあまり変わらない瀬呂から先に目を離したら、気づかれると思った。
さすがに四人しかいない座卓で二人対角上で見つめ合う瀬呂と飯田の様子に円場も気がつき、ひたすら食べていた轟も箸を止めた。
既に場を乱している中目を合わせているのがしんどくなり、飯田はとうとうぎぎぎと視線を何気なく正面の円場のほうへ逸らした。
「………ッ、…っ」
ふっ、と蛇の睨み合いのようなものが解消され、肩を落とした瀬呂が、気まずそうな半眼で飯田を打ちのめした。
「…ハイ。委員長、アウト」
「だああッ…!!くうぅ…!クソ…ッ!!」
テーブルに突然勢いよく突っ伏して叫ぶ飯田に、轟と円場は何事かとびくりとした。
「何してんだよ、飯田、瀬呂…」
根負けした飯田の事情を悟った瀬呂はきまりの悪さに口を閉じ、睨めっこしてたのと度数のないハイボールを舐めていた。
「足痺れたんじゃねえのか、飯田」
脚の個性の特性から、常に折り目正しく正座をしているので、轟はそう認識したようだった。
「んん、いや…大丈夫だ。痺れてはいないから」
顔が熱くなっているから息を抜いてこようと、飯田は勢い込んで立ち上がると座卓から離れる。
「気にせず続けてくれ。俺は酔いを醒ましに御手洗に行ってくる!」
元A組クラスメイトに察しをつけられたのは初めてだった。
学生時代は周りに多くの生徒や大人がいたし、楽しい時間ももちろんたくさん過ごしたが、ずっと敵の脅威と生まれ育った近隣の街の秩序崩壊に脅かされていたのだ。
みんなが共に在れという協力体制で、とにかく経験不足で健全だったと思う。
御手洗室の外ドアが軋み、誰か入ってくる気配がした。
脳裏ですかさず想像した人物だろうと、腰かけていたトイレの上で項垂れていた顔を上げる。
「……瀬呂くんか?」
うん、と遠慮気味に抑えた小声が答えを返した。
大きく息を吐き出して、どう彼に説明したものかと飯田は頭を抱えた。
「……だあいじょうぶだって委員長。俺トモダチの大事な秘密は案外ちゃあんと守るのよ?」
やっぱりすべて悟られているなと確信し、おもむろに内鍵を外してドアを開放する。
洗面所の鏡の前に、すらりとした体躯の瀬呂が寄りかかっていた。
「……。本当にそのとおりだといいが」
疑り深い飯田は消沈した声音をそのまま吐き出したが、瀬呂に面白がるような態度が見えないことにようやく安堵する。
「…委員長、情操教育については初そうだもんなあ」
「君、馬鹿にしているのか?さすがの俺でも他人の色恋沙汰ぐらいは見聞しているし、空気というものも読めているつもりだぞ」
「まあ実際そうなのかもしれねえけどさあ」
軽口が再び戻ってきたことで弁が乗り、意思共有ができているものとして飯田もつい素人だと言われて言い返してしまった。
そしてその見解に間違いがないのは、誤っていなかった。
瀬呂は実際二年になってから下級生と付き合ったりと、異性との恋愛については柔軟なように見えた。
「ずばり委員長はさ、格好いい轟クンに丸め込まれて抱かれちゃったかァ…?」
ちらりとドア奥の座敷に目をやり警戒すると、瀬呂は口元に手を当ててぼそりと問うのへ、ガンッと背後のタンクに引いた背中をぶつけることで返事をした。
「っな、そ…っ!!」
「え?!なに、なんなのっ」
「そんなわけがないだろう!!こら瀬呂くんッ!!それにこんな御手洗とはいえ公衆の場で!」
大きな音がしたことで女将や板前、座敷の客にも聞こえたのではないかと瀬呂も大慌てでドアの外を気にしている。
すぐに誰も来ないところを見ると、酔っ払った面倒な友人を介抱しているのだろうとも思ってくれていそうだ。
「………それはない」
「え……」
額を組んだ両手で覆ってしまっていたので声がくぐもっていたかもしれないが、飯田もどこかで誰かに話して、少し慣れないことを聞いてもらいたかったのかもしれないと思った。
しばらく何も答えない瀬呂を鼻筋を覆った両手の間から見上げると、先程座卓で見合っていた時のようにまたじっと気まずそうに見下ろしていた。
「なんか…もしかして世間の地雷、瀬呂クン踏み抜いちゃった…?」
世間の地雷とは何のことだろう。
轟に関することだろうか。
思い当たる答えが見当たらなかったが、瀬呂がさっき轟の髪に触れていた指先を閉じて開いたりしているのを見て目を見開いた。
「…え?え?何すか、またぁ〜…」
「…俺がそちらでなければ何か、文句があるのかい。瀬呂くん」
委員長怖いと己を抱きしめて震えるそぶりをする瀬呂が言いたかったことは、世間では轟は女性に人気で、付き合いたいと憧れる者が多い対象だということだろう。
「っいえいえ!何もございません!ございませんよ…!あとさっき轟触っちゃってすんませんっした!!!」
自分はそんなに気にしていたのか。そんな些細なことを。
「………え、そういうことよね?」
「……そんなにわかりやすいのなら、気をつけなければならないな俺も…」
「あー…。もしかしてそれも、まだ家の問題があるから浮わついてると思われるからか?俺はちゃんと、公表するまでは言わないからさ」
瀬呂にそう言われるまで、思いつかなかったそんなことは。
轟を含め自分たちはこの稀な関係のように日々変化して交わっていくが、喪失で人生が止まってしまった人もいる。
轟はいろいろな周りの人間に影響される。
影響され、交わることを試して促し、さらに彼も変わっていく。未来に追いつくのが速い男だ。
脅かされる懸念から人の一声で、簡単に火傷跡を隠す長い前髪を躊躇いなく切ったように。
轟やその家族は、時間が過ぎるのだけは待っていくのだ。
「…へえー…。あの轟がなあ…」
触れていた轟の髪の感触を思い出しているのか、瀬呂は上の空で再び右手を開閉させていた。
飯田も無意識で見ていたらしいので、自分でもその時の心境や自分の表情はわからない。
気の置ける友人たちの前では、あまりよくない反応だったのだろうとは思う。
いつから?と懲りなく小声で訴求してくる瀬呂に、混乱したあとの疲れた眉間を揉んで、深い嘆息を見せつけるように吐き出す。
「瀬呂くん」
「あっハイ…!友達だしうっかり触っちゃう時あったら事後報告するから!」
「瀬呂くんもこのことを無理に気にして意識しないように!!」
最後に駄目推しをして睨むと、高く慌てたいらえが返って、飯田はようやくふんと鼻を鳴らし御手洗を二人で出た。
座卓に戻ると、少し御手洗で話し込んでしまったので迎えに行ったほうがいいかと円場と轟に心配されていたようだった。
「すまない!瀬呂くんについていてもらったら酔いはすっかり醒めたようだ!」
やりすぎなくらい両腕を振ってみせると、久しぶりに見たそのロボダンス、とノンアルコールで酔った円場が腹を抱えて大笑いしていた。
「よォし。瀬呂クンも飲み直しちゃうもんねえ!」
飯田が自分の席につくと同時に、隣から右腕をこづかれた。
揚げたての串揚げが四本乗った皿が手前に寄せられる。
「飯田。ささみチーズ串頼んでおいたぞ。余ったらもらうし」
何度も同じものを食べていたのを見られていたのか、轟はそれを飯田の好物だと思ったらしかった。
気遣われたのか単純に好きなものだと思い頼んでおいただけなのかはわからないが、朴訥な、どこの誰にでも装うようなそれが、胸に痛いと感じた。
「ありがとう轟くん。うん。これ好きなんだ」
やはり自分は、優しい彼の枠に食い込むことを望むように、轟のことを好きなのだと思った。
後編へつづく
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